8話
−グランドピアノの人(U)−
「貴様、何のつもりだ。」
いきなり聞こえてきた声にビクッとしてネオンは我に返った。確かにグランドピアノの方向から声がした・・・ということは、やはりそこには人が座っているのだ。
「へっ!?」
文章になる言葉など出てくるはずもないネオンは、素っ頓狂な声で口からそんな音を出すことしかできなかった。視線は相変わらず照明に照らされたその2つのものへと注がれて動くことはできずにいた。
「何のつもりか、と聞いている。」
さっきよりも強い口調でそう再度言われたネオンは、ようやく頭の回転も追いついてきたようで、
「あ、えっと、私、いきなり真っ暗で何もない所に来ちゃって・・・ それで・・・えっと、ピアノの音が聞こえたから・・・その・・・。」
と、なんとかしどろもどろになりながら説明した。相手がすべてを理解することができるほどの内容とは、とても言えなかったが、ネオンは怪しい者ではないと懸命に説明した。そしてネオンは相手の反応を見るべく、応答を待った。
「・・・。」
「・・・。」
ネオンは何も返ってこない返答に不安と焦りを覚えた。沈黙がこんなに恐ろしいものになり得る事があるのだと、ネオンはこの時まで思ったことはなかった。
元をたどれば、こんなワケの分からない場所で一人ピアノを弾いているこの人は、明らかに怪しい事この上ない。それに、この人の第一声は『貴様、何のつもりだ。』であった。これは、どう考えても敵意のある言い方ではないか。
―怖い・・・!―
ネオンは、今この状況を振り返り、これからどうなるのかを本能が予感した瞬間、全身にイヤな汗が流れるのを感じた。生ぬるい大気が体中を包んでいるような気持ちの悪さに、がむしゃらに動き回って、この生ぬるい大気から抜け出したい。そんな思いに駆られた。喉はカラカラに渇き、唾液すらも出てこない。まるで、今この瞬間、ネオンの体中の汗腺が開いて水分が全部外へ向けて放たれている最中のようだ。
数秒だったのか数分だったのか、時間の感覚が完全に麻痺しているネオンには長く、果てしなくこの光景が続くような気さえした。と、ネオンはとうとう頭がおかしくなってしまったのではないかと、自身がそう思うほど、おかしくも怖ろしい情景が浮かんできた。
まず、ネオンの頭の中にはカッチリとした丈夫そうな額縁に一枚の絵が入れ込んであるイメージが浮かんできた。そして、その絵を覗き込んでみると、そこに描かれているのはネオンがいつまでも真っ暗な一点を見つめている情景であった。絵の中のネオンは、焦燥感に苛まれた表情で泣きじゃくり、歪んだ醜い顔で口をだらしなく開けたまま、一点を見つめているのだった。そう、絵の中では、その‘時’は一生続くのだ。